インドネシア第二の都市、スラバヤ(Surabaya)。
ジャワ語を話す街で、少しインドネシア語も鈍っているようにも聞こえます。スラバヤは、日本でいう大阪で、関西弁を話すみたいな感じでした。私の勝手な印象。。
この像は、スカルノ大統領とモハマド・ハッタ
ジャカルタの空港名が、スカルノハッタと言いますが、この2人の名前から取っています。偉大なスカルノ大統領の第3夫人は、日本ではお馴染みのデヴィ夫人。
4年5カ月の戦い!スラバヤでインドネシア独立戦争を学び、平和を考える
長らくオランダの植民地にあったインドネシア。
1945年8月17日に独立宣言をするのですが、独立を阻止しようとオランダ軍がスラバヤに再び上陸。そして、インドネシア独立戦争が勃発。
1945から1949年までの4年5カ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったそうです。
博物館があったので行ってきました。
入場料は、Rp5.000(約50 円)。
Merdeka ataoe Mati!日本語で「独立か死か!」インドネシア軍司令官がインドネシアの若者を鼓舞し指揮するために用いた合言葉だそうです。
当時の情景が、ことこまかに再現されています。
英語、インドネシア語の説明文がわからなくても、見入ってしまいます。約70年前に終戦したインドネシア独立戦争。私は産まれていませんが、そう昔の出来事ではないです。
独立記念塔のトゥグ・パラワン(Tugu Pahlawan)。
スラバヤ市街のランドマークです。争いのない平和が一番!っていうことはみんなが思っていることですが、戦争を学ぶと、この戦いがあったからこそ今の平和があることを痛感します。
インドネシア人も独立のために命がけで戦った。だから、今のインドネシアがある。一度得た平和を失わないようにしなくては……というのは、私たちが住む日本も同じですね。